べんじょのらくがき

天才ではない記事読んだ。個人的には自分がおもしろいと思えば良いので、なんでも良い。ああいう記事をほぼ初めて読んだので記念カキコである。あの記事での天才の定義とは、オリジナリティ、新しい技法の開発者・イノベータなことを指すと感じた。見る作品な範囲は広く演出や技法・ストーリーをしっかり見てるんだろう。そしてなんか変に真面目だ。作者の発言に対しての記載を見るに作品のみならず作者のコメントや他での評判などを見聞きしている。天才の定義がオリジナリティというのには気になる点ではある。漫画には様々な技術が出てくるため漫画の天才と呼称した場合どういった面が天才とするのかがひどく曖昧な形になる。はてブのコメントに記載されているが、記事中で挙げられている天才にも踏襲先・源泉が存在する。そうした場合オリジナリティとはなんなのか。確かに天才として挙げられている方々は誰もが認める天才だ。それは技法の開発者としての天才なのか技術の伝播者としての天才なのか。元を辿ればどこかに技術の踏襲は見られるし、見ようと思えばそう見える。コンテンツが溢れ変えっているからこそそうしてことを気にした場合オリジナティなど存在しない。全ては組み合わせ。そうして出来上がった作品こそがオリジナティである。また作品に共通する部分が作風になっていく。様々な影響を受け研磨され創作される。パクりだ言われるが昔はそれが伝播しなかっただけもしくは作者が発言する箇所がなかっただけで、今にしてれば別の作品を踏襲している影響を受けている。別の作品からの影響を受けるのは問題ない。その人の味で書き直すのも問題はない。天才などいない。天才とは人が賞賛した人のことを指す。オリジナリティがあって知名度がある人のことを指している。記事がなぜ今回で書かれてかは、映画的表現を多く取り入れているため記事の著者が映画方面を特によく見ているのだろう。他の読者との知識の差で焼き増し感がぬぐえず、または賞賛のことが多過ぎることが引っ掛かり書かれたことと推測する。10-20代を対象とする雑誌で映画的表現・映画のことを知っている人が稀のため踏襲や焼き増しを感じる人が少なく賞賛のことが多いのだろう。そうして差に耐えれず書かれたのだと考える。天才というのはよくある話で短期的にはよく出現する。小さいことは天才と呼ばれた人は多いだろう。この1年では天才,数年の中では天才。10年稀に見る天才。ワインのキャッチコピーのように範囲や時代で条件付けすれば天才など数多のようにいる。現在では賞賛している人々も時間が流れ多数の作品に触れれば感想も変ってくる。そんな中で多くの世代を楽しませた作品・著者が天才として数多の中で突出する。だから、短期的な天才評価など無視すれば良いのだ。時間が解決する。そんなことに時間をかけれるのだからすごい熱量だ。ブーメラン。作者や読者の感想がより多くの目に付くことも差を認識するのに拍車をかけたのだろう。天才などはいないし、いっぱいいるのでそんなことは気にしない方が良い。人とは影響を受けやすいので賞賛の波に飲まれるし、作品もその影響を受ける。好きな作品の影響を受けるのは当然だろう。情報が伝播しやすい時代になったからこそ特にだろう。意図的に情報を遮断して作品を楽しむか、享受するしかないのだろう。作者・読者の発信・発言もよく世に出てくるが故に。作者が創作できなくならなければいい。ここまでなんとなく書いたが他になんか書くことあったっけ。天才の定義と記事が書かれて意図について考えてただけだっけか。天才ではない、他の評価について、ジャンプについて、デザインの盗作、天才の例、作者の発言。パクリ・リスペクト・オマージュ・盗作・踏襲は、元の作者の発言によるという逃げ。無知だと判断できないし、基本は大衆の判断だからな。無知は発言を控え逃げます。

 

最後に

自分としては読んで面白ければOKなのでどうでもいい話です。最高でした。作者のコメントとか他の人の感想とかあまり見ないし特に気にしない。見て面白ければ良し。駄目なら感覚が時代に取り残されたか、合わなかっただけ。